『私のたどってきた道と樹木医受験について』
| 北野信久(第3404号 樹木医) 令和7年度合格 |
|
私は造園、林業の技師として定年まで行政職員をしておりました。高校の頃から造園の分野に進みたいと思うようになり、造園系の大学進学を目指していましたが、そこは無理だとわかっていた恩師が、地元でも造園の勉強できるぞと色々調べてくれて地元の大学の林学科に進みました。そこには造園ゼミという先生はいるけど学科も関係なく単位ももらえない自主ゼミがあり、国、都県をはじめ道路公団などで活躍するゼミの先輩から情報をもらい、先生、先輩たちから教えてもらいながら県の仕事を請け負ったりして、実践的な勉強をすることができました。所属は林学コースで生態学系の先生の元で、勉強というより4年間植生調査に明け暮れていました。今があるのは進路を決めてくれた高校の恩師と、大学の先生、先輩方のおかげです。強運に恵まれました。
就職は名古屋市へ造園職として入ったのですが、元々大杉谷や伊勢志摩など自然公園がやりたかったので、都市公園はそのうち飽きるかなと、試しに林業職で三重県を受けたら、たまたま大災害の後で採用枠が大幅に増え、拾われて転職することにしました。林業職というのは治山、林道の設計監督から造林、林産、森林病害虫、鳥獣保護、自然公園、自然保護、森林法、自然公園法だけでなく時には種の保存法や文化財保護法なども関わる職種で、樹木医のてびきの範囲とかなり被っています。また林業普及指導員を10年やっておりましたので、病害虫の相談を受けることは多かったです。マツクイムシ防除事業で、地上散布、樹幹注入、伐倒駆除やヘリによる空中散布も担当しました。またカシノナガキクイムシの被害が紀伊半島で久々に発生した時には、奥田会長の指揮の元、現場調査や報道対応などを担当しました。樹木医の手引きに載っていることを実践で学べる職場だった訳です。新採の頃に検査した植林地が伐期を迎え、手入れしてきた庭木や、神職として奉仕している竹神社の樹林とは半世紀ほどのつきあいで、経年変化も見てきました。
退職して4年間は神職の資格取得で手一杯でしたが、ようやく樹木医試験をうけようということになり、過去問と手引きを購入し、まず過去問をやってみました。半分しか取れないことにショックを受け、できなかったところは手引きを読んで理解することを繰り返し、論述は問題を読んだだけで時間切れで受験しました。全く今までの自分の人生の失敗例を繰り返すような有様でしたが、ここも強運に恵まれました。今までちゃんと仕事をして勉強してきたよという証として樹木医を受験したのですが、合格できてホッとしています。ただ、ちゃんと行政マンとして仕事をしていれば合格して当たり前のはずの「樹木保護に関する制度」がギリギリ最低だったことに腹立たしい思いです。
現在三重県林業研究所内にあるみえ森づくりサポートセンターに勤務しており、一般県民やボランティアの方からの森づくりや樹木に関するよろず相談所的な仕事をしています。
相談にはしっかりした根拠を持って的確に応える必要があり、樹木医としての真価が問われるような相談もあります。樹木医の仲間に入れていただき、これから精進しますので、どうぞよろしくお願いします。
|
<< 前のページに戻る